Column

2002/11/22

チャンピオンへの軌跡

正直いうとチャンピオンを取れるとは思ってなかった。4ポイント差で迎えた最終戦はとんでもない結果に終わった。レース前半にエンジン・ブローで全てが終わったプーマ・ランサーの悲劇を喜ぶ気持ちにはなれなかった。

プーマ・ランサーのエースドライバーの中谷明彦選手は僕の大学の後輩でもあるし、ここまでレースを盛り上げてきたランサーがこんな形でレースを終わることにいたわりの気持ちのほうが強かった。お互いに良いレースをして、チャンピオンを決めたかったと考えていたはずだ。

まだ、スタートドライバーの吉田選手がインプレッサのステアリングを握っていたので、出番を待つ僕は複雑な心境であった。このまま完走すればインプレッサがチャンピオンになるということは応援に来てくれたスバルファンの誰もが願っただろう。しかし、チャンピオンにはそう簡単にはなれなかった。あるトラブルがインプレッサに発生していたのだ。

ことし1年を振り返ると心が痛くなる自分のミスを思い出す。それはシリーズの第1戦の美祢のレースであった。スタートドライバーを務めた僕は、2位という好ポジションで吉田選手にバトンタッチした。ところがピットロードに入る際に、ホワイトラインカットというミスを犯したのだ。ことしから厳しく取り締まられることをあまり意識していなかった自分のミスであった。コンマ一秒でも速く、インラップ(ピットに戻る時のラップタイム)しようと、最終コーナーを攻めすぎて、ピット入り口のラインをカットしてしまったのだ。それに加えて給油時にホースの挿入に失敗するなどのつまらないミスも重なってしまった。そのためにタイムロス以外に1分間のペナルティストップを課せられてしまった。順位は2位から4位に転落し、15ポイントが8ポイントとなり初戦を終えた。

この時、プーマ・ランサーは1位となり、シリーズをリードすることになった。迎えた第2戦は西仙台ハイランドでのレースであった。

過去あまり相性のよくない西仙台ではリタイヤすることが多かった。

スタートドライバーを務めるが、序盤からターボ・パイプが緩むというトラブルが発生し、排ガスの熱でドライブシャフトのブーツが燃えるなどの事態が発生し、最終的にはリタイヤとなってしまった。「ことしもこんな辛いレースとなるのか」とチームのモチベーションは下がっていた。しかしSTIのエンジニアの青山君は必至になってエンジンの信頼性を高めていた。

その一方で福島監督は、今シーズンからランサーと同じ235/45-17というサイズが使えるようになったので、幅広いラジアルを有効に生かすためにサスペンションのセットアップに最新の技術を投入していた。ダンロップタイヤのエンジニアとも議論を繰り返し最適なジオメトリーを模索した。

迎えた第3戦の鈴鹿はインプレッサとの相性はいいサーキットである。金曜のプラクティスでは久しぶりのウェットで私は張り切って走った。クラス2のベストラップを叩き出すも、張り切りすぎてデグナーカーブの入り口でスピンアウトしてしまった。F1のためにダンロップコーナーが改修され、その旋回スピードが非常に高くなった。その読みを誤った僕はスピンというミスを犯したが、マシンにダメージはなかった。 レースはスピードに勝る2台のランサーがリードしたが、燃費に優れるインプレッサはワンストップ作戦にでた。スタートドライバーの吉田選手が燃費のよい走行をしたために、逆転のチャンスがあった。しかしランサー勢はエンジントラブルで自滅し、今期初優勝があっけなく転がり込んできた。

第4戦は茂木で行われたが、235サイズのタイヤとのマッチングもよくなり、コーナーリング・スピードは高まっていた。STIの青山エンジニアはたった1人で自分のインプレッサをサーキットのスポーツ走行に持ち込み、信頼性とパフォーマンスが両立できるセッティングを見つけていた。

エンジンとシャシー性能の両方が改善された茂木ではラップタイムも好調で、ランサーとの差は縮まっていた。このレースではランサーのマフラーを脱落するというトラブルで緊急ピットした隙に乗じてインプレッサが逆転し、優勝につなげることができた。

とはいえ、インプレッサも同様のトラブルが発生していたが、我々はルーティンピットの際にマフラーの脱落を修理していたのだ。

ドライバーでシリーズポイントがボーナスとして1.5倍もらえる第5戦の十勝24時間レースでは、勝てればチャンピオンの可能性があると意識した。しかし結果はハブ・トラブルなどでまたしても2位に終わり、ライバルのプーマ・ランサーに大きくポイントを離されてしまった。

十勝のレースが終わり、シリーズも後半戦に入った。まだ残暑が厳しい9月の第6戦TIレースで勝つことができれば、僅かな望みも託せると思っていたがここでは燃料ポンプの電気的なトラブルが発生し、ライバルのプーマ・ランサーが優勝し、我々は3位に終わった。この時点でポイントは20点も差がつき、絶体絶命の状態となっていた。この時点ではすでに2003年モデルのインプレッサの噂もあり、エンジン性能が大幅に向上する来年にチャンピオンは持ち越しと誰もが思っていた。

しかし勝負の女神はプローバ・チームに大きなチャンスを与えてくれた。第7戦の菅生ではランサーがシリンダーヘッド・ガスケット抜けるというエンジン・トラブルで脱落し、我々が優勝したのだ。これで20ポイント差が一気に4ポイントとなり、最終戦を迎えることになった。多くのメディアもこれでレースが面白くなったと喜んだ。

最後の試練は最終戦の前半に起きていた。すでにランサーがエンジン・ブローであっけなくリタイヤしていたが、インプレッサにはブレーキとドライブシャフトのトラブルが起きていた。長丁場のレースでもちこたえるかどうか、まさに神のみぞ知るという状況であった。この時点で6位になればチャンピオンが決まる。7位ではだめだ。祈る気持ちで恐る恐るインプレッサのステアリングを握る。普段は陽気な福島監督もだんまりを決めている。

レースも残り30分を切ったところで、吉田選手から無線で「ドライブシャフトの振動がかなり激しい」と訴えてきた。もう誰も手助けはできない。監督は「ゴールまで走りきってくれ!」と伝えた。

午後4時30分、4時間のレースは幕を閉じた。満身創痍のインプレッサはスロー走行しながらチェッカーを受けた。人生で最も長かった4時間だったかもしれない。 チャンピオンを決めると僕の事務所に三菱自動車から奇麗なランの花の鉢が届いた。ランサーがいたからここまでこれたと感謝した。